大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和45年(う)1676号 判決 1971年10月21日

本籍

韓国全羅南道霊岩郡新北面葛谷里

住居

新潟市弁天町二丁目一〇番地の四

遊技場等経営

新井萬圭こと

朴萬圭

一九二四年一月一四日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四五年五月二七日新潟地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、左のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を徴役六月及び罰金六〇〇万円に処する。

この裁判確定の日から二年間右徴役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは、金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意並びにこれに対する答弁は、弁護人山浦重三及び同梅逸が連名で提出した控訴趣意書及び同補充書並びに検事古谷菊次提出の答弁書各記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。そして弁護人の控訴趣意に対し、次のとおり判断する。

第一点の一(理由不備等、控訴趣意書補充書による補充分を含む。)について

所論は、原判示第一及び第二の各事実について、原判決は、その証拠の標目欄に多数の証拠を掲げ、これによって右各事実を認定できるとしているが、その掲げる証拠の内容を仔細に検討してみると、右各事実の基本たる事実、すなわち、第一の事実においては昭和四〇年分の実際の所得金額が六八七七万九六六五円であった事実並びに第二の事実においては昭和四一年分の実際の所得金額が八五五二万一〇六九円であった事実を認めるに足りるものは、大蔵事務官作成の脱税額計算書二通及び国税査察官作成の修正損益計算書二通以外には存しない。もっとも、原判決が証拠として掲げる大蔵事務官山崎重之作成の南凡夫に対する昭和四二年一二月一三日付質問てん末書の第一八問答欄には、同事務官から領置第二号小手帳三冊のうちの青ビニール表紙でミヤリサン1965と銀文字入りの手帳の方眼紙ページを示して「この手帳の数字はどうですか」と問われたのに対し、南凡夫が「これは私が昭和三七年一〇月に着任してからその翌月の一一月からの売上、景品別の記録で、昭和四一年一二月までの各月分の成績を書きとめたものです」と答えている部分のあることが認められるが、右に示された小手帳に該当すると考えられる原審昭和四四年押第四八号の六の小手帳三冊中の表紙にミヤリサン1965と銀文字入りの手帳の内容を検討しても、

南凡夫の右答弁に符合する記載のあることは遂に発見することができないのであるから、原判決認定の実際の所得金額を認めるに足りるものは、結局前記脱税額計算書二通及び修正損益計算書二通のみであるというよりほかはないのである。しかしながら、右脱税額計算書二通及び修正損益計算書二通というのは、原審第二回公判において弁護人から刑事訴訟法三二六条の同意の意見が述べられてその証拠調のなされたものではあるが、右各書面の作成者である近藤昭治の原審公判における証言によれば、それらの書面に記載された所得額は、押収になっているメモと売上を記載した手帳とによって決定したというにあるが、これに該当すると考えられる原審昭和四四年押第四八号の四の売上帳一冊及び同五の売上関係メモ一綴にこれを裏付ける記載のないことはもちろんのこと、同六の小手帳三冊にもそれがなく、とくにそのうちのミヤリサン1965の銀文字入りの小手帳にこれを裏付ける記載を発見することができないことは、前記のとおりであるから、脱税額計算書及び修正損益計算書は、その資料がなく算出できないものを算出決定したとしているものにほかならず、原審第二回公判において弁護人がこれを証拠とすることに同意したのは、これが相当な資料に基づいて作成されたことを前提としてのことであるから、その同意は、錯誤に基づく同意であって効力のないものであり、かりにこの同意が有効であるとしても、同意があっても、当該書面が作成されたときの情況を考慮し、相当と認めるときに限りこれを証拠とすることができることは、刑事訴訟法三二六条の規定するところであり、前記のとおりの脱税額計算書及び修正損益計算書の作成事情にかんがみれば、これが右三二六条によって証拠とすることが許されないものであることは明らかであり、刑事訴訟法の他の規定によってもこれを証拠とすることができる余地はない。そして、右各書面を除外すれば、原判示各事実は、原判決の掲げる証拠によっては認めるに足りないのであるから、原判決は、その理由に不備があるか事実と証拠の間にくいちがいのある違法のあるものであって、破棄を免れないと主張するものである。

しかし、記録を調査してみると、所論が問題としている脱税額計算書二通及び修正損益計算書二通並びに原審昭和四四年押第四八号の六、小手帳三冊のうちの青色ビニール表紙にミヤリサン1965と銀文字の入った小手帳一冊は、昭和四四年四月一八日の原審第一回公判において、検察官より、その他の多数の証拠とともにその取調の請求がなされたが、弁護人より証拠調請求に対する同意、不同意または意見の陳述は次回にしたいとの希望が述べられ、同年六月二八日の第二回公判において、弁護人より同意または取調に異議がない旨の意見が述べられた結果、これを証拠として採用し、その取調がなされたものであり、第一回公判期日との間に二カ月以上の間隔があることに徴しても、弁護人としては、各証拠の内容その他を検討したうえ、前記のとおりの意見が述べられたものと認められ、各証拠の取調の方法等について被告人または弁護人から異議の申立等のあった事跡が認められないことによってみれば、原審第二回公判における各証拠の取調は、それぞれ一応適式になされたものと認めることができる。もっとも、現在の時点における問題としては、原審第二回公判においてその取調がなされた証拠のうち、原審昭和四四年押第四八号の六の小手帳三冊のうちの青色ビニール表紙にミヤリサン1965と銀色の文字の入っている一冊(新潟地検の領置番号で昭和四三年領第二五七号の符号七八の一、以下(1)小手帳という。)及び黒模様入りの表紙でこれにニュージエントルマンズメモと金色の英字の入っているもの一冊(新潟地検の領置番号で前同号の符号七八の二、以下(2)小手帳という。)については、それぞれ、現存する前後の各頁の記載内容相互の間に連関がないこと及び綴じ糸のたるみ具合等からみて、敢り除かれた紙のあること、換言すれば、右各小手帳の記載内容には、現在においては、それ自体をもってしては確認するに由のない部分の存在することは、弁護人所論のとおりであるが、右各小手帳の所有者で提出者でもある南凡夫に対する大蔵事務官作成の質問てん末書、右南凡夫の検察官に対する供述調書、原審及び当番証人近藤昭治の各証言、近藤昭治作成の昭和四五年二月一三日付提出書と題する裏面、新潟地方裁判所判事渡辺達夫作成の昭和四五年五月二七日付証拠物の一部紛失についての覚書と題する書面等によれば、前記(1)、(2)の各小手帳は、これについて証拠調がなされた昭和四四年六月二八日の原審第二回公判当時それぞれ欠損部分のない完全な状態で存在したことはもちろんのこと、それ以後においても、原審第三回公判の行われた昭和四四年一二月一六日の朝まではそれぞれ欠損部分のない完全な状態で存在し、その後欠損部分を生じたものであること、(1)小手帳の欠損部分というのは、被告人の経営した新潟会館の釘師であった南凡夫が、毎日の終業後、被告人が経理係であった武藤信子の報告を受けて読み上げる数字を控えておいたメモを集計して算出した新潟会館の、昭和四〇年一月から一三月までの各月の及び昭和四一年一月から八月までの各月の、売上金額、景品金額、売上金額と景品金額との差益金額及び爪切景品の差益金額の四種類の金額数字、昭和三九年一月から一二月までの各月の景品金額の数字、昭和四一年九月から一二月までの各月の売上金額及び売上金額と景品金額との差益金額の数字(ただし、一二月分は売上金額の数字のみ)とを記載した二枚四頁であり、(2)小手帳の欠損部分というのは、南凡夫が前同様の方法により算出した昭和四二年一月から七月までの各月の景品金額の数字等と同年八月から一〇月までの売上金額及び景品金額の数字を記載した部分を含む二枚四頁であること、そして、右各欠損部分に記載されていた具体的な数字は、前掲近藤昭治作成の提出書に添付された二枚の計数表中の、三九年分の右側部分、四〇年分の全部、四一年分の一月から八月までの分の全部、同年九月から一二月までの分の左側部分、四二年一月から七月までの分の右側部分及び八月から一〇月までの分全部に記載されたとおりの数字であったこと、各修正損益計算書中の各修正売上金額は、(1)小手帳中の昭和四〇年一月から一二月までの各月の売上金額等を基礎として算出されたものであり、各脱税額計算書は、各修正損益計算書を基礎にして各年の脱税額を算出したものであることを、それぞれ認めることができる。

そして、以上に認定したところによって考察すれば、原判決が証拠として挙示する修正損益計算書二通及び脱税額計算書二通は、これらの書面が作成された当時においては欠損部分がなく、完全な状態のままであった前記(1)の小手帳等に基づいて修正売上金額、次いで実際所得金額を算出したものであり、右(1)の小手帳は、弁護人がこれを証拠とすることに同意する旨の意見を陳述した原審第二回公判当時においても完全な状態で存在したものであるから、右の同意が錯誤に基づく同意であって無効であるとする所論の当らないことはいうまでもなく、前記のとおりの作成事情に照らしても、これを証拠とするについての同意のあった右各書面を証拠とすることができないというべき理由は全くないのであり、これを証拠能力のないものであるとする所論は、到底採ることができない。そして、この修正損益計算書二通及び脱税額計算書二通によれば、被告人の昭和四〇年及び同四一年の実際の所得額がそれぞれ原判示のとおりであることを認めることができるのであるが、原判決は、これに加えて右各書面作成の根拠となった前記(1)の小手帳その他の証拠をも掲げているのである。右(1)の小手帳は、現在の時点においては、その内容に欠損部分のあることは前記のとおりであるが、原審第二回公判当時には欠損部分のない完全な状態で存在し、右公判において適法に証拠調のなされたものであるから、これを罪となるべき事実の証拠として掲げることは、もとより許されることであり、ただ上級審の審査に服する場合に、その他の資料によってもその欠損部分の内容を明らかにすることができないときは、場合によっては、証拠理由不備ということで、原判決を破棄すべき理由となることがあり得るに過ぎないのであるが、本件の場合は、前記のとおり、当審における事実取調の結果により欠損部分の内容を正確に確認することができるのであり、修正損益計算書二通及び脱税額計算書二通に(1)の小手帳その他の証拠を総合すれば、原判示各逋脱の事実はさらに十分にこれを認めることができるのであるから、いずれの点よりしても、原判決の理由にくいちがいのある違法また理由不備の違法のあることを主張する論旨は理由がない。

第一点の二(事実誤認)について

所論は、原判決が被告人の実際所得額を昭和四〇年分六、八七七万九、六六五円、昭和四一年分八、五五二万一、〇六九円と認定したのに対し、

(一)  原判決の掲げる証拠によれば、被告人は、在日韓国居留民団新潟県副支部長をしていた関係上、昭和四一年度まで、その事業遂行のために、在日韓国人子女関係の教育資金として年間二〇万円ないし三〇万円宛を支出していることが明らかであり、右は、昭和四〇年分及び同四一年分のいずれの所得額を算出するについても、接待交際費として犯則損金に計上控除されなければならないのに、原判決はこれをしていない、

(二)  同じく原判決が掲げる証拠によれば、被告人は、その事業遂行の必要上、金剛不動産社長朴清洛に対し、昭和三八年頃をピークとして最高四、八〇〇万円を貸付け、その後一部返済を受けたりして二、〇〇〇万円弱の残金があったが、朴清洛が昭和四一年五月二日死亡したため、回収不能となったことが認められ、右は、昭和四一年分の所得額を算出するにつき、貸倒れ損金として犯則損金に計上控除されなければならないのに、原判決はこれをしていない、

従って、原判決は、右の二点において判決に影響を及ぼすことが明らかな事実を誤認したものであるというのである。

しかしながら、

(一)  原判決が証拠として掲げる大蔵事務官作成の被告人に対する昭和四三年三月二九日付質問てん末書によれば、被告人が、昭和四一年以前において、韓国居留民の教育関係の寄付金として、年間二〇万円ないし三〇万円を支出したことのあったことは、認められないではないが、取引先または銀行関係の接待交際費と異なり、これがパチンコ遊技場を経営した被告人について、所得税法三七条一項にいう総収入金額を得るため直接に要した費用ないしは所得を生ずべき業務について生じた費用のいずれにもあたらず、必要経費に算入することができるものでないことは明らかであり、その他、これが同法七八条一項の定める特定寄付金として、所得額より控除すべきものにあたらないことも明らかであるから、右(一)の論旨は理由がなく、

(二)  原判決が証拠として掲げる大蔵事務官作成の被告人に対する昭和四二年一二月一四日付及び同四三年二月二九日付各質問てん末書に被告人の当審第二回及び第五回各公判における供述、登記簿謄本九通及び当審の検証調書等当審における事実取調の結果をも参酌してみると、新潟市弁天町一丁目一八番地においてパチンコ遊技場新潟会館(駅前会館ともいう。)を経営していた被告人が、知人朴清洛の仲介により、昭和三九年秋頃、国鉄新潟駅前広場に面した土地で、前記新潟会館より三〇メートル内外の距離のところにある弁天町一丁目二番地及び四番地の土地を実兄朴竜圭名義で代金五、〇〇〇万円で買受けることとし、同年一一月下旬三、〇〇〇万円、昭和四〇年四月二、〇〇〇万円を支払い、昭和四〇年五月一日朴竜圭名義に所有権移転登記を了したが、昭和四一年に至って新潟交通株式会社との間において所有地の交換をして、右同所五番地の土地につき、一部は被告人自身の名義、一部は朴竜圭の名義でその所有権を取得し、四番地の土地の一部と五番地の土地を合わせた土地の上に被告人を代表取締役とする株式会社新潟ゲームセンター名義で鉄筋コンクリート四階建の建物を建築し、右建物内において、昭和四四年夏頃からパチンコ遊技場、喫茶店、特殊浴場等の営業をしていることを認めることができるが、被告人が前記朴清洛に対し、昭和三八年をピークとして最高四、八〇〇万円位の金員を貸付け、その後一部の返済を受けたり土地売買仲介の手数料と相殺したりして、その残金が約二、〇〇〇万円になっていたという部分やそれが昭和四一年五月朴清洛が死亡したため回収不能となったという点については、被告人のその旨の供述(ないし供述調書の記載)と朴清洛の死亡届受理証明書を除いては、これを裏付ける証拠資料は皆無であって、到底そのままには肯認できない。そしてまた、仮りにそのような事実があったとしても、新潟会館の営業及び実兄朴竜圭名義による新潟駅前の土地の買受と朴清洛に対する貸付金との間には直接の関連がないこと、換言すれば、朴清洛に対する貸付金は、新潟会館の営業とは関係のない個人的貸付金であると認められるのであるから、これが回収不能となっても、その金額を貸倒れ損金として所得税法五一条二項により必要経費に算入するこどができる限りではないといわなければならない。被告人の当審公判における供述によれば、被告人のいわんとするところは次の点にあること、すなわち、朴清洛に対する貸付金四、八〇〇万円というのは、元来が、純粋の貸付金ではなく、後に朴東鉉より買い受けた新潟駅前の土地を朴東鉉よりも先に買い取るための資金として朴清洛に手交してあったものであるところ、右土地の所有権が朴東鉉の取得するところとなり、朴清洛がその保管する四、八〇〇万円を同人自身の用途に費消してしまったので、その後その一部を回収し、残金二、三〇〇万円位を貸付金に改めたところ、そのうちの約二、〇〇〇万円が回収不能になったのであり、そもそも被告人が新潟駅前の土地を買収するために四、八〇〇万円もの金員を支出したのは、新潟会館より程遠からぬところにある駅前の土地を第三者が取得し、同所においてパチンコ遊技場の経営をはじめるにおいては、新潟会館の売上が減少することは必至であるため、そのような事態を生ずることを防止する意図でしたことであるから、四、八〇〇万円の支出は新潟会館の事業遂行のために必要な支出であったのである、従ってその一部が貸倒れになった以上は、その金額は所得税法上必要経費に算入されて然るべきものであるということにあるものと解せられるが、被告人が実兄名義をもって取得した駅前の土地が、極めて地の利を得た土地であり、各種の事業を営むに適した場所であることにかんがみれば、被告人が右の土地の入手を企てた意図としては、同所に競争業者が出現して新潟会館の売上が減少することを防止しようという意図はもちろんなかったとはいえないが、それ以上に、同所において新たな営業活動を開始しようという意図のあったこと、換言すれば、代金五、〇〇〇万円の支出が一種の資本的支出であったことは、推察するに難くないのであるが、この点は別としても、被告人のように代金が五、〇〇〇万円にも達する土地を購入しようとする程のものが、売買契約書を作成し所有権移転登記を完了する見とおしがつかない以前において、その代金の全額を仲介者に交付したということは、その事実を証する確実な証書があること等の特段の事情の存する場合は別として、通常は考えられないことであること、前掲の被告人に対する質問てん末書二通中の被告人の供述が、種々の角度からの質問を受けて答えたものであるにかかわらず、朴清洛に対する貸付金を駅前土地の買受には関係のない貸付金であるとしていること等にかんがみれば、被告人の当審公判における供述中右貸付金を駅前土地の買受に深い関係があるもののようにいう部分および朴清洛がこれを個人的用途に費消したという部分は、到底信用できないものというべきである。その他所得税法七二条一項は、所得控除の一種に属する雑損控除として、居住者又はその者と生計を一にする配偶者その他の親族で政令で定めるものの有する資産(六二条一項及び七〇条三項に規定する資産を除く。)について、災害又は盗難若しくは横領による損失が生じた場合において、その年における当該損失の金額の合計額がその居住者のその年分の総所得金額等の合計額の十分の一に相当する金額を超えるときは、その超える部分の金額を、その居住者のその年分の総所得金額等から控除する旨を規定しており、右は、所得税法中の他の規定との対比よりして、生活に通常必要でない資産を除外した非事業用資産に関する損失についての規定であると解せられるが、被告人の朴清洛に対する貸付金がかりに右七二条一項の対象とする非事業用資産に属するとしても、そのうちの約二、〇〇〇万円が回収不能になったのは、前記のとおり、債務者である朴清洛が昭和四一年五月死亡したことによると主張するものであるから、本件の場合は、所得税法七二条一項による雑損控除の許されない場合であるというべきである。(二)の論旨も理由がない。

第二点(量刑不当)について

所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、これらにあらわれた諸般の事情について考えてみるに、本件は、原判決もとくにその点を指摘しているとおり、個人営業としてパチンコ遊技場を経営した被告人が、毎日の終業後その日の売上現金中のかなりの部分を抜き取り隠匿しておいて虚偽の確定申告をする方法により、昭和四〇年及び四一年の二カ年に亘って、正規の税額合計九、六七九万二、二〇〇円のうちの七二八万二、一四〇円を納付しただけで、残余の八、九五一万六〇円を逋脱したというものであって、その逋脱の割合が高く逋脱税額の多いことは、この種の事件としても稀に見られる程度のものであり、忠実な一般の納税者に与える影響ということも軽視することができないことであるから、本件についての被告人の責任が原則的には甚だ重いものであることは否定できない。しかしながら、被告人がこれまでとく段の前科等のなかったものであり、本件については、税務当局の側にも営業の実体の把握及び事前指導の面において必ずしも十分でなかった点がないではないこと、とくに、被告人が、本件の発覚をみるや、卒直にその非を認めて、税務当局の調査に対してもよく協力し、当局の指導の下に、本件が起訴される以前の昭和四三年四月に、昭和三九年、四〇年、四一年の三カ年分についてそれぞれ修正申告をし、右各年の本税を逸早く完納したばかりでなく、これに伴って賦課されるに至った延滞税、加算税、事業税、市県民税等の納付についても、これを完納するように格段の努力をし、結局昭和三九年、四〇年、四一年の三カ年分として納付した各種税額の合計が二億円を超える結果となっており、右のことは被告人の当然に甘受すべき結果であるとしても、被告人が誠意をもってこれを完納したことは、本件の量刑にあたってしん酌に値いしないことではない。また、本件は被告人の経営するパチンコ遊技場「新潟会館による昭和四〇年分および昭和四一年分の個人所得に対する所得税の逋脱事犯であるが、世上一般に行なわれているように、若し被告人が当時会社組織によってこの新潟会館を経営していたとすれば、同一金額の課税所得に対する法人税額は被告人個人の所得税額に比して遙かに低額ですんだことは、それぞれの法定税率からみても明らかであるから、それに相応して逋脱額やこれに対する延滞税額、加算税額も低く算定されたであろうと思料されることなどの諸点をしん酌すれば、被告人を徴役六月及び罰金八〇〇万円に処したうえ、右徴役刑の執行を二年間猶予するとした原判決の刑は、その罰金額の点においてなお考慮の余地のないものではないというべきであるから、量刑不当を主張する論旨は理由がある。

以上の次第で、本件控訴はその理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い当裁判所が自らさらに判決する。

原判決がその掲げる証拠によって認定した罪となるべき事実に法令を適用すると、第一及び第二の所為はいずれも所得税法二三八条一項に該当する。そこで、右のいずれかの罪についても所定刑中の徴役刑と罰金刑との併科刑を選択し、以上は刑法四五条前段による併合罪であるから、徴役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重いと認める第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算した金額の範囲内で、それぞれ処断することとし、被告人を徴役六月及び罰金六〇〇万円に処し、刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右徴役刑の執行を猶予し、同法一八条により、右罰金を完納することができないときは金二万円を一日に換算した期間労役場に留置することと定め、主文のとおり判決する。

検事 古谷菊次 公判出席

(裁判長判事 江里口清雄 判事 上野敏 判事 中久喜俊世)

控訴趣意書

所得税法違反 被告人 新井萬圭こと

朴萬圭

右頭書被告事件につき、昭和四五年五月二七日新潟地方裁判所が言渡した判決に対し控訴を申し立てたがその理由は左のとおりである。

昭和四五年一二月七日

右被告人弁護人弁護士 権逸

山浦重三

東京高等裁判所第一二刑事部

裁判長裁判官 江里口清雄殿

原判決は、本件公訴事実を全面的に認容して、被告人に対し徴役六月(執行猶予二年間)および罰金八〇〇万円に処するとの判決を言渡したが右判決には理由不備の違法乃至は訴訟記録に現われた証拠と認定事実とのくいちがいの重大なる事実誤認の違法があり、その違法は明らかに判決に影響を及ぼすものであって原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。

第一点 理由不備及び重大なる事実誤認点について

原判決は、

被告人は、新潟市弁天町一丁目一八番地に店舗を置き、パチンコ遊技場「新潟会館」を経営しているものであるが、所得税を免れようと企て

第一 昭和四〇年分の実際の所得金額は六、八七七万九、六六五円でこれに対する正規の所得税額は四、二一七万三、二〇〇円であったにもかかわらず、売上金額の一部を除外して、正規の帳簿に計上することなく簿外預金に留保するなどの不正の行為により所得の一部を秘匿したうえ、昭和四一年三月一五日新潟税務所において所轄同署長に対し、昭和四〇年分の所得金額は三八五万五、九八五円で、これに対する所得税額は一〇二万五、四〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって正規の所得税額と右確定申告した所得税額との差額四、一一四万七、八〇〇円を免れ

第二 昭和四一年分の実際の所得金額は八、五五二万一、〇六九円でこれに対する正規の所得税額は五、四六一万九、〇〇〇円であったにもかかわらず、前同様の不正の行為により所得の一部を秘匿したうえ、昭和四二年三月一五日、新潟税務所において所轄同署長に対し、昭和四一年分の所得金額は一、四二〇万〇、二六六円で、これに対する所得税額は六一三万四、三四〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって正規の所得税額と右確定申告した所得税額との差額四、八四八万四、六六〇円を免れたものである。

との事実を判決摘示の証拠の標目の証拠によって認定した。

一、しかしながら、右判決に証拠の標目として摘示された証拠によって正規の所得額(殊に勘定科目売上金額の犯則所得額)及び逋脱税額等の事実を認定することは出来ないものと考える。

従って原判決には理由不備の違法か或いは理由のくいちがいの誤認があって、到底破棄を免れない。

すなわち、

(一) 被告人の検察官に対する供述調書(昭和四三年一二月四日附)及び同人に対する大蔵事務官の質問てん末書(昭和四二年一二月一二日付同一四日付、昭和四三年一月一九日付同二月一日付同二九日付)を仔細に検討しても、原判決認定のごとく、昭和四〇年分の実際所得金額六、八七七万九、六六五円、昭和四一年分の実際所得金額八、五五二万一、〇六九円あったと認定し得ない。

(二) 被告人の原審公判廷における供述を検討するに、昭和四四年四月一八日第一回原審公判廷において、被告人は僅かに「こまかい計算のことはわかりませんが、公訴事実は大体そのとおりだと思います。私は帳簿も読めないし、計理のことはサッパリ判りませんが税務署でこのとおりになるというので結果的に私の方でそのとおり認めたというわけです」と公訴事実に対する認定を述べているに止るのである。

(三) 昭和四三年一一月三〇日関東信越国税局収税官吏国税査察官近藤昭治作成にかかる修正損益計算書二通、同人作成に係る脱税額計算書二通中の実際売上金額は如何なる証拠資料によって作成したものであるかこれを明らかにし得ない。というのは右各書面は同査察官が昭和四四年一二月一六日原審第三回公判延において証言したとおり「所得金額は押収になっているメモと売上げを記載した手帳によって決定した」と供述しているのであるが、そのメモ及び売上げを記載した手帳というのは証拠の標目中、昭和四四年押第四八号の四、五、六の新潟会館と題する売上帳(大学ノート)一冊、売上関係メモ一綴及び小手帳三冊であることは明らかであるので右各証拠を検討するにその何れからも昭和四〇年分、昭和四一年分の実際所得額(売上金額)は遂いに把握出来ないのであるから査察官作成の前記修正損益計算書、脱税額計算書は如何なる証拠によって作成したか明確でないというのである。すなわち前記各計算書は昭和三七年以降昭和三九年までの売上金額から推計したものであるか否か明確でなく従って査察官の一方的な作文で根拠のない単なる報告文書にすぎないものとしか考えられないのであるから、これをとってもって断罪の資料とした原判決は理由不備乃至は理由のくいちがいの事実誤認をなしたものであるというほかはない。

よって実際所得額(売上金額)の基礎資料となった昭和四四年押第四八号の四、五、六(証拠の標目中に記載してあるもの)について検討するに

イ、押第四八号の四、(新潟会館と題する売上帳(大学ノート)一冊の記載はいずれも公表金額の記載であって実際所得金額の把握資料とはなり得ない。検察官提出の冒頭陳述書添付の別表1売上脱漏金額月別明細、昭和四一年一月二月欄と右大学ノート昭和四一年度欄と対象すれば一目瞭然である。

ロ、同号の五、(売上関係メモ一綴)の記載は、釘師、支配人南凡夫の昭和四三年一一月二九日付検察官に対する供述調書六項において昭和四二年一一月分の記載がある旨を供述しており昭和四〇年分、同四一年分の売上高計算の資料とはなり得ない。

ハ、同号の六、(小手帳三冊)の記載を検討するに、

○ミヤリサン1965手帳について

前記南凡夫の昭和四二年一二月一三日付質問てん末書記載によれば、その問十八の項において、これは昭和三七年一〇月に着任してからその翌月の一一月から売上、景品別の記録で昭和四一年一二月までの各月分の成績を書きとめたものである旨を供述しているのであるが右手帳の該当欄を見ると昭和三七年度分、昭和三八年度分、昭和三九年度分の記載はあるが昭和四〇年度分及び昭和四一年度分の記載は遂いに発見し得ないのである。

しからば他に昭和四〇年度分、昭和四一年度分の記載が在るか

○黒模様入布帳表紙のニュー・ジェントルマンズメモ帳について

前記南凡夫の前記質問てん末書記載によれば、その問十五の項において、これは今年(昭和四二年)の一月から一〇月までの月別売上、景品、その差益、それに一台一日あたりの売上概数金額、景品をメモしておいたものであると供述しているのであるがその該当部分を見ても一月から七月までしか記載してないのである。昭和四〇年分、昭和四一年分の記載は遂に発見し得ないのである。

○黒皮表紙メモランダムブックの手帳について

この手帳には売上げ関係の記載はない。

以上三冊について検討した結果は前記国税査察官近藤昭治の所得金額は押収になっているメモと売上げを記載した手帳とによって決定したとの証言は全く措信出来ずこれによって実際所得金額殊に実際売上げ金額の把握は出来ないし又他の如何なる証拠によっても把握出来ない

(四) 新潟会館従業員武藤信子の昭和四二年一二月一六日付質問てん末書及び昭和四三年一二月三日付検察官に対する供述調書の供述記載において同人は被告人が毎日売上金額の一部を除外していた事実を認めてるのであるがその具体的金額は明確ではない。被告人は既述のとおり帳簿も読めないし経理に暗いのであったから、かかる場合武藤信子の帳簿の整理としては、毎日店主貸金額を帳簿に記載して整理をしておけば本件は発生しなかったとも謂い得ると思われるのであって本件は帳簿の不整理によるものと考えられないわけではない。

(五) 被告人は査察官の調査及び検察官の捜査をとおして、終始所得税の申告にあたり、申告所得を実際の所得額より少なく申告していたことを認め、そのことを悔悟しているのであるが果してどの位実際所得額があったのか被告人自身皆目判らず総べて国税査察官の調査によった額を呑む以外に方法はなかったものである。しかし被告人は昭和四三年二月一日付査察官の質問てん末書において「私が脱税して取得した資産は全部発見されてしまいましたので今更うそをいったところで仕方がないのでざっくばらんにお話して支配人南が書いた手帳はどうゆうことで書いておいたのか、またこの手帳にある数字がどういうものなのか見当つきませんので調査の上如何様に判断されても異論ありません」と供述しているのであるが、その手帳中には前述のとおり昭和四〇年分、昭和四一年分の売上げ金額の記載はないのである。

それかあらぬか原審第三回公判廷(昭和四三年一二月一六日)において弁護人は証人近藤昭治査察官に対し、被告人の所得金額は推定によって決めたのか証拠によって決めたのかを糾したところ同証人は勿論証拠にもとづいて決定したといい、その証拠はメモと売上げを記載した手帳ですと供述しているのでそのメモ等はどんなものであるかをさらに問いただしたところ、検察官はこの追求に対し何故か異議申立をなし、その追求を中止させているのである。仮令情状立証のための証人であっても事案の決め手となるべき証拠がどのようなものであるかは犯罪の情状にも影響を及ぼすものと思料されるので宜しく法廷に顕出しこれを確認すべきものと考えるのであって、ここに本件の証拠についての信憑性真実性及び適確性の問題が生じているのである。

(六) ところで原判決摘示の大蔵事務官作成の脱税額計算書同修正損益計算書各二通についての証拠能力の点についての意見を開陳する。

原審第二回公判において、被告人は右書面の証拠調べについて同意しているのである。

しかしこの同意によって右各書面が刑訴三二六条該当書面とはなり得ず証拠能力は否定さるべきものと考える。というのは右各書面は前記書面は前記国税査察官近藤昭治の証言のとおり押収になっているメモと売上げを記載した手帳(昭和四四年押第四八号の五、六)によって作成されたものであるが右メモ及び売上げを記載した手帳は勿論他の証拠をもってしても右各計算は出来得ないものであることは明らかである。かかる信憑性に疑がありしかも前述のとおり証明力が著しく低い事由があるのであるから刑訴三二六条により仮令被告人の同意があったとしてもその上その書面が作成された情況を考慮しても相当と認められる状況がないのであるから同意書面としての証拠能力はないものと考える。また、前記各書面は国税査察官が納税の対象となるべき所得額を調査した結果をまとめた一種の報告文書であるから刑訴三二三条三項に該当する書面でないことも明らかである。(新判例体系刑事訴訟法5、7142頁昭和三四年一一月一六日東京高裁第七刑事部判決参照)

(七) その他本件の昭和四〇年分、同四一年分の実際の所得額を認定するに足りる証拠は全記録を精査しても遂いに見当らないのである。

しからば原判決には、理由不備の違法があり又理由のくいちがいの重大なる事実誤認を敢えてしている違法もあり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから到底破棄を免れないので速やかに原判決を破棄して原審に差戻して再審理を命ぜられたく懇願する次第である。

二、次に売上金額の犯則所得額の認定以外についての事実誤認点について

(一) 昭和四〇年分修正損益計算書勘定科目接待交際費二四四万五、六三五円の犯則損金の認定については、検察官冒頭陳述書添付の勘定科目別内容の説明によれば、取引先や銀行関係の接待交際費として簿外で月二〇万円を支出している分および高島屋の接待交際費四万五、六三五円の計上漏を認容しているのである。

右認容は昭和四三年三月二九日付被告人に対する大蔵事務官の質問てん末書四七問に対する答え中に現われていることにもとづいて認容されたものとみられるのであるが、その項の中にはさらに昭和四一年以前には教育関係の寄附として年間二〇万円から三〇万円の支出をしているとの供述があるのである。

しかしこの取引先や銀行関係の接待交際費が認容されるならば、被告人が在日韓国人として、在日韓国居留民団新潟県副支部長として活躍している関係でその事業遂行上昭和四一年度以前在日韓国人子女関係に教育資金として年間二〇万円乃至三〇万円宛拠出していると供述しているのであるからこのことも認容することが租税公平負担の原則上当然で一応接待交際費として犯則損金として計算すべきものと思料する。税法上の原則である租税公平負担の原則上事実誤認と云うべきであると思料する。

(二) 次に貸倒れ損金の計上洩れの誤認について

昭和四二年一二月一四日付被告人の質問てん末書問二五において被告人は朴清洛(金剛不動産社長)に昭和三八年頃をピークとして最高四、八〇〇万円位貸付けたが同人が昭和四一年五月二日死亡したので貸倒れとなってしまい、昭和三八年暮頃七百万円程返済を受けたがその后昭和三九年の春頃借用証書を作成したが、実際に貸倒れとなったのは二、〇〇〇万円弱であったと供述しているのである。それも昭和四一年五月二日以降であることが明らかである。

貸倒れ損失が発生したか否かは債務者の支払能力等の事情により判定すべきであるがおおむね債務者の死亡、失踪、行方不明、刑の執行その他これに準ずる場合で回収の見込みがない場合には貸倒れ損金とみるとのことは基本通達によって明らかである。(前税務大学教授中根健次郎著新修版所得税法精説一〇四頁参照)

しからば査察途上において被告人が前記のとおり供述している以上はこれを調査し認容すべきは認容して犯則損金に算入すべきであるのにこれを不問にふしているのは事実誤認といわざるを得ないものと思料する。

朴清洛(金剛不動産社長)に対し貸付けたと云うのは実は被告人が事業遂行上同人を介して現在の新潟会館の前身である新潟会館の敷地を購入するための手附として四、八〇〇万円余を交付したところ同人が右の手附金をその頃費消してしまったため貸付け処理とし、そのまま同人が昭和四一年五月死亡したため回収の見込みなく貸倒れとなったものであり、その際作成してあった借用証書も計理にうといため紛失してしまったものであって死亡の際の貸倒れ金額は少なくとも二、〇〇〇万円はあったのが実状である。

而して実際所得に対し取得資産の少ないところからか査察官は昭和四二年一二月一四日付被告人に対する質問てん末書二五問において、それでは尚更まだ取得財産が足りないと思われるがと質問して、売上げ除外額に見合うだけの銀行預金その他取得財産を計算してこれと比較しても取得財産の少ないことを追求して、この貸倒れを想い出させているのである。そうだとするならばどうしてこの貸倒れ損を認容しないのであろうか。この質問は一面売上げ除外額(売上額の犯則所得額)の膨大なる認定が如何に根拠のないものであったかを推測させるのである。

いずれにしても昭和四一年分について右二、〇〇〇万円の貸倒れについて犯則損金として計上しなかったことは、徴税の法則に違背し不当であり右違背をその儘認定した原判決は重大なる事実誤認を敢えてしたといわざるを得ないし、その誤認は判決に影響を及ぼすこと明白であるから到底破棄を免れないものと思料する。

第二点 量刑不当の点について

原判決は量刑重きにすぎ失当であるから到底破棄を免れないものと信ずる。

一、被告人は本件脱税査察開始以来自己の非を認め全面的に取調官に協力して来たのであるが被告人自身帳簿も読めないし況や経理関係については皆目判らないのであって、経理関係は当時支配人南凡夫、従業員武藤信子等に一切委ねて来た結果と被告人の納税意識の不十分さとが本件を惹起せしめたものであると云わざるを得ないのであります。

被告人は日本国に在住し、その庇護を受けて生活している以上正当な所得の申告をなし適正なる納税義務を履行すべきであったと反省しているのであります。従ってことここに至っては一時も早く追徴税、過少申告加算税、重加算及び地方税である事業税、県市民税等を納入して正しい姿に立ちかえるべく孜々として立ち働いている現状であります。

現在被告人が納入ずみの追徴税等は次のとおりであります。

すなわち、昭和四三年四月一日付にて、国税査察官の指導により作成し提出した修正申告書によれば

(一) 昭和三九年度税額 二、五六五万一、四〇〇円 比率〇、五六五

昭和四〇年度税額 四、一一〇万九、六〇〇円 比率〇、六三三

昭和四一年度税額 四、九九〇万八、一〇〇円 比率〇、六八一

課税所得金額 一億八、三四五万三、一〇〇円

その税額 一億一、六六六万九、一〇〇円

であって

(二) これに対する加算税は

<省略>

(三) さらに地方税は

県市民税 四、一六七万四、四七〇円

事業税 九一五万五、六二〇円

であってその総額二億一一三万八、六九〇円の巨額に上り、前述のとおりこれを完納したがこれも銀行融資約一億円を漸く受けて履行したものであって、現在巨額の負債の重荷に身心ともに疲労困憊し途方にくれている状況であります。そしてこのような巨額の所得税等をかように早期に納入している被告人の心情を是非斟酌して頂きたいのであります。

二、宣告刑としての罰金の限度については、かような追徴税加算税の納入ずみの場合には、これ等を勘案して罰金額も軽減するのが相当であると思料するのであって敢えて重加算税及び過少申告加算税と罰金との併科を憲法三九条違反であるとは主張しないまでも、原審において被告人に対し、徴役六月(二年間執行猶予)および罰金八〇〇万円の判決はこれを斟酌したか否か別としても如何にも苛酷であると云わざるを得ないのであります。

右加算税等の納付状況を勘案して罰金額を減額して貰いたい、これが被告人の切なる願いであります。

三、次に情状酌量の理由の一つとして是非考慮して頂きたいのは昭和三九年分の納税状況についてであります。

というのは昭和四三年四月一日付で被告人は昭和三九年分についても修正申告をなし同年度分課税所得額四、五三六万二、〇〇〇円、その税額二、五六五万一、四〇〇円及び重加算税の基礎となる税額は、右税額二、五六五万一、〇〇〇円(四〇〇円切捨)全額としその30/100である七六九万五三〇円を附加して課税しているのである。

恐らく昭和三九年分課税所得額は、前述の押第四八号の六の小手帳三冊のうちミヤリサン1965の手帳中の昭和三九年分の記録を主にして算出されたものと考えるが、反面犯則損金等を如何様に処理しているのか記録上は明らかではないが、被告人はその犯則損金等について

イ、昭和三九年四月六日付新潟機工株式会社の競売事件 ついて、被告人が提出した競買保証金一六八万円が昭和三九年四月一四日までに競落代金を納付しなかったため競売代金に充当されて返還を受けられなかった事実(昭和四三年一月一九日付被告人の質問てん末書問答二〇)を述べている。

ロ、昭和三九年一月付で山興電機株式会社に対する工事未払金と平山こと申洞銖に支払う債権譲渡の通知書(同質問てん末書問答二二参照)について申洞銖に二五〇万円乃至二六〇万円を支払っていると供述しているのである。

これは山興電機株式会社が平山こと申洞銖に対して支払い債務があったため被告人が平山こと申洞銖に対し山興電機に支払うべき工事代金を支払ったことを意味するのであって、その時期もおそらくその頃と思料されるのである。してみれば両事実は一つの保証金流れ損として損金処理さるべきであり一つは災害前の資本的支出が災害損失として認容されてしかるべきものと思料されるのであるが被告人はこれらについて何等の異議も述べず査察官の云うがままにこれに応じて納税している心情を是非斟酌して頂きたいのであります。

四、また被告人は本件脱税額の計算を査察官から示され、それをそのままに受取り、現在存在する自分の銀行預金等の取得資産全部を投げ出して税金納入にあてようとしたのであるが、被告人は加算税重加算税等の知識もなかったため実際課税額は約二億円に達してしまい、自己の無知と馬鹿正直さに泣き伏している状況であります。

五、殊に被告人は国税査察官の指導により前述のとおり昭和四三年四月一日付にて昭和三九年分、昭和四〇年分、昭和四一年分について夫々修正申告をしています。

勿論本件査察開始后の修正申告であるから、過少申告加算税及び重加算税は免除されないであろうが、本来修正申告は納税義務者が自主的に申告納付する税法の原則にもとづいてなされるものであるから、修正申告はさせる、加算税は免除しないとの徴税態度は如何に残酷であるとの印象を与えるのである。

本件の修正申告は徴税を早期に確保するためになされたとするならば修正申告の本来の姿に反するとはいい得ないだろうか。

いずれにしても被告人は当初より納税に協力すると税金を完納していることをも併せて斟酌して頂きたいのであります。

六、脱税をしておいて、何を云うのか、と云われるかも知れないが、被告人は性善良で在日韓国人として稀に見る円満な人柄で現在推されて在日韓国民留民団新潟県支部の副支部長を経てその顧問役として、本件を恥じ職を退こうとしたが周囲はこれを許さない位に信用を博している人物であります。唯一方商銀新潟信用組合の理事長だけは是非とも辞任させて貰ったという程の人物でありそれ丈反省しているのであります。

現に査察段階で被告人に接していた国税査察官近藤昭治も証人として原審第三回公判廷において、被告人は調査に協力し、ずっと正直に述べたと証言しているのであります。(第三回原審公判廷における証言)

七、最后に、当弁護人は被告人の以上の性格等を判断して次のことを附加して情状の一端に加えたいのであります。

というのは被告人は経理にうとく帳簿のつけ方も皆目判らないのであり、経理は一切支配人南凡夫、従業員武藤信子等にまかせてしまってあったのであるから、支配人、従業員等が毎日の売上げを記帳する際、被告人が売上げから抜いた金額を「店主貸」として記帳して帳簿を明確にしておいてさえくれれば本件はこのような結果にならなかったのではなかろうかと考えられるのであり、ある意味からすれば支配人、従業員等の帳簿の不整理の結果が本件を惹起せしめたのではなかろうかと見られるのであって、当初から計画的に脱税を計ったとは言い得ない事案であると考えるのであります。

以上情状について縷々述べましたが決して被告人は計画的に脱税を計ったのではなく、納税知識の浅薄さと無関心とがこのような不始末を惹起したことを反省しているのであります。

被告人の性格、犯罪后の情況等諸般の情況を勘案して是非とも罰金刑を減額して寛大なる裁判を仰ぎたく本控訴に及んだ次第である。

以上の理由により原判決はその量刑重きに過ぎ失当であるから到底破棄を免れないものと考える。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例